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仕事が終わりかけ . . .

雲の色が紫に . . .

その向うはオレンジで . . .





幻想的な西の空 . . .
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日の出と共に今朝も出動〜!^^





静止画では始めてとらえた野生の鹿^^

僕が衝突して倒れたのではありませんからご安心を . . . ^^





いつもの大堤溜池の朝^^





これだけいれば鳴き声もすごいです^^






今朝は大嶺に行ってみました^^

先日僕が生まれた美祢の豊田前に、石炭を採掘していた場所を探しに行ってみたところ、どこも遠くから柵がしてあったので、昔の面影を残している何かが発見できないか?と、JR美祢線に13年前まで残っていた大嶺駅付近を尋ねてみることにしました。



県道38号線の途中、こんな自動車屋さんがありました^^





この看板はいつ頃の物なんでしょう?

色褪せていないところを見ると時々塗り替えられているのでしょうか?

懐かしい字体ですね〜^^





大嶺駅があった所にはこんなモニュメントがありました。

下の黒いのは大嶺を象徴する石炭です。





中央にあるのは海軍マークのキーストーンです。

明治37年の日露戦争当時、大嶺から産出する無煙炭を軍艦の燃料として使用するために、時の海軍大臣は山陽鉄道株式会社に命じて、厚狭〜大嶺間に鉄道ができました。
美祢の炭坑は海軍炭鉱だったようです。

昨日の彦島の魚雷が明治35年だし、海軍となれば何かつながりがありそうです。

そしてこのキーストーンは採炭に向う鉱夫達を鼓舞するために、坑口中央に掲げられていたそうです。





反対側からちょっと写してみました^^

Mは僕のバイクの頭文字(Multistrada)でもあるんです^^





昔の様子が絵で残っていました^^





ちゃんと「大嶺駅」とありますね^^





1997年3月に廃止となった今はなき大嶺駅です





この鉄橋も今は使われていません。





鉄橋以外のレールは残っていません。






道路も旧道から広くなった県道へと引き継がれています。

今日は旧道をゆっくり進みます。

何故か?と言うと、地元の人に聞き込みをするにはこっちが有利だからです^^

いましたいました^^

昔から住んでいそうなおじさん^^

「すいませ〜ん。お話しを伺いたいんですけどい〜ですか〜?」

ビンゴ〜!^^

かなり詳しい地元ティーでした^^

「何処かに炭鉱の跡が見れそ〜な所はないですか?」

優しく色々と教えてくれて、しかも丘の中腹まで案内してくれました^^

下の写真は坑の入り口です。





そのおじさんは、ここの会社の中にバイクで入っても大丈夫」」と教えてくれました。

普通こんな所入ちゃマズイと思いますよね^^;

さすが地元の人ですね〜やっぱり聞いて良かった〜!^^





そして、ズケズケ..ズカズカ..ブンブン..こんな所まで入ってきました^^





おじさんの話しでは、この辺りの土地の下は石炭を掘った穴だらけで、そこに水が溜まるので、この坑から水をくみ上げて川に流しているんだそうです。

トンネルの右下に写っているのが、その水をくみ上げているパイプです。





そのパイプがここにつながっています。





向うの方のパイプから水が出ています。

これはさっきの坑からつながっているパイプです。

元々はここの水槽に石炭を入れて洗っていた水槽だと思われます。

水槽の上の鉄の所にコンベアがつながってたんじゃないかな?





そして、ここから溢れて . . .





川へと流れていきます。

川底が白くなっていて、水も硫黄っぽい独特な臭いがしていました。

ここに浸かってたらお肌スベスベになれへんやろか?
(温泉ちゃうっちゅ〜ねん^^;)





少し奥へと歩いて行くと坑がありました^^

コンベアはまだ新しいですね . . . まだ何か掘っているのでしょうか?








コンベアは上へと続いています。








コンベアの先はホッパーへつながっていました。





更に奥へと歩いて行くと、何やら倉庫らしき古い建物がありました。





この奥にも何かありそうです。





うわ〜〜ぁっ! メッチャ雰囲気ありますね〜^^





洒落たレストランでもできそうです^^





まだまだここにはいっぱい坑がありました^^









さてさて、今回の山口探訪 . . . 楽しんでいただけましたでしょ〜か?

昭和46年、エネルギー革命により美祢の炭鉱は閉山になりました。

明治に始まった炭鉱の町美祢は、大正、昭和、平成と、4つの時代を経て今まだその面影が少しだけど残っています。

昭和病院に入院している大正生まれの僕の父親は、ここから少し先の豊田前の坑に入って石炭を掘っていました。

10年前までカブでウロチョロしていた父親も今は外にも出られません。

ここの炭鉱の写真病院に持って行ってあげたら喜ぶかな〜? . . . ナンテ^^
今朝も好奇心の虫が騒ぎ出した

・・・出動〜!^^

・・・彦島〜!^^





今日の目的地は . . .





この奥に !?

無理をせずバイクを置いて . . .





あっ! ありました〜!^^







南公園の下です^^

今回の情報提供は彦島で生まれ育ったお客さんのSさん(男性)です^^

この辺りの事にかなり詳しく色々教えて頂きました〜!^^

道順もSさんの言うとおり . . . ビンゴー!^^

Sさんありがとうございました〜!^^

Sさんがおっしゃるには、この南公園、以前は「海軍山」と呼んでいたそうです。

山の上には砲台があったそうです。

海側には、現在も魚雷発射場跡が残っています。





明治35年、ロシアのバルチック艦隊に備えるべく作られたそうです。

この石垣の上に魚雷を運ぶレールがあったのではないか?と言われています。

修復工事の後、台風により中央部分が崩落したんだそうです。





そして、その陸側にはトンネル状の魚雷倉庫が残っています。

柵があるので中には入れません。

大人だと少しかがまないと入れないような高さです。

現在も、この南公園付近にはいくつかの防空壕が残っているそうです。





グーバイクで見かけた事のある「ブラスト」さんがありました^^

二輪と四輪を扱っておられます。





駐車場には懐かしい車が並んでいました^^





更に進むと「汐望(しおみ)」さんがありました^^





ここに出てくるんですね〜^^

坂の上の右側が汐望さんです^^

海峡を望みながらコーヒーがいただけます^^

ここも以前お客さんに聞いてうかがった事のあるお店です。

オムライスも美味しいで〜す!^^



ぐる〜っと回って、今回のもう一つの目的地に向いま〜す!^^





ご夫婦仲良く犬のお散歩^^

この時期日中は暑いから朝がい〜ですね^^



さて、今度は勇気がいるかな?^^;





Sさんの情報によると、この霊園の奥の石段を下りると目的の物が . . .

と、とりあえず行ってみましょ〜


駐車場に付きました





あれっ? 石段じゃないけど柵の間に坂が . . .

おやっ?カメラのバッテリーがきれちゃいました^^;

たまにやるんですよね〜^^;

しかたがないので200万画素のiPhoneで撮影続行〜!^^

こっちの方が臨場感が出るかも?

とりあえず、プラス思考という事で . . .





これかな〜?

とりあえず下りてみましょ〜か


草むらに出ました

ここしかないよな〜

ここをかきわけて . . . と、





こっちかな〜?

おいおいぬれちゃうよ〜^^;





向うに行きたいけど . . .

いっ今だ〜!





ギリギリセ〜フ!





今度は少し広そ〜^^





ここは大丈夫^^





ヤバイ!





一難去って





又(ここをつかんで)





一難(ここから下りて)

向うに見えてきた!





やったぜ!^^

と、

思ったら . . .

今度は上?





すぐそこに . . .





そろ〜り





グラッ





ズズッ





お〜っと〜





わちょ〜ぉ〜





何とか脱出〜!^^

あ〜んど、、、

到着〜!^^











* 金ノ弦岬灯台(かねのつるみさきとうだい) *

この灯台は明治4年にイギリス人技師リチャードヘンリーブラントンの設計で建てられました。
元々は浅瀬に立標(りっぴょう)として建てられたのですが、大正時代に浅瀬が撤去されて現在の位置に移設されたそうです。
立標としては日本で最初に建てられた物なんだそうです。(スゲーじゃん!^^)

海上保安庁では誤認防止のために使わなくなった灯台は撤去する方針となっているらしいのですが、「文化的価値が高い」との地元の保存養成に下関市が国から15万円で購入して、市の文化財として保存されているそうです。(ならど〜して竹の子島の灯台は撤去されたのかな〜?^^;)








ふと、、、灯台の横を見ると . . .





何と、石段があるじゃ〜あ〜りませんか〜

(・・;

Sさんはこの事を言っておられたのですね

ここならあんなに苦労しなくてよかったのかも?

クモの巣多いけど^^;





あれっ?

柵の切れ目がない!?





こ〜なったら

よっこらせっと . . .





藤棚?





ここもちゃんと手入れしていればキレイなんだろうけど . . .

(・・;





こんなんじゃ〜ね〜

(・・;


振り向くと、こんなです^^;

ここは誰も入らないでしょ





ぐるっと回って元の駐車場に戻ってきました^^

(墓地の奥の奥から . . . )





確かにさっきの階段の方が近いし危なくないけど. . .

よっぽど詳しくないとわかんないよね〜ここは . . .

さすがSさん . . . スゴイ!^^


最後は老の山公園からの景色を眺めながら一休み^^

色々あったけど、充実した朝だったな〜^^




外はかなり暑いですね〜^^;

皆さんいかがお過ごしでしょうか?

外は暑いけど中はエアコンガンガン

体温調整も難しいですね^^;

体調くずさないよう気を付けたいですね



PANACHEの入り口にある鉢植のアジサイ . . .

「 てまりてまり 」という品種なんだだそうです




アジサイの花が枯れる時はあまりキレイではないけど、

このアジサイはそうでもないんです








そしてまだまだ咲き続けています ^^




以前日記でお知らせした大学生のM君 . . .

下関から角島まで自転車で行ってキャンプをした男の子 . . .





その後、自転車で四国を回ってきました^^

そして今度は日本海側を青森目指して走るそうです

8月10日に出発が決まったそうです

旅の途中、生存確認のため僕に写メールを送ってくれるそうです

この暑い中、青春まっさかりの若者がいます

是非、本州最北端「大間崎」に立ってほしいです!


M君頑張って〜!


無事に帰ってくるんだよ〜!



昭和病院に入院中の父親のお見舞いがてら、汐入の浜に下りてみました^^


病院に登る坂の途中を右に入ります



まっすぐ行って



階段を下ります



こんな砂浜が出現 ^^



六連島や



建設中の長州出島や



カニや



蝶や



あら!? こんにちは ^^







夜は先日からちょっと気になるお店に行ってきました ^^





県道244号線(農免道路)を下関から川棚に向って北上すると途中リフレッシュパークに入る交差点があります。
その少し先左側にポツンとあるプロバンス風(?)の良い雰囲気のお家があります。

お客さんのOさんの情報では、内装も凝っていてお味も良かったとの事でした ^^

ここのお店の前はしょっちゅうバイクで走っているのですが、すっかり見落としていました ^^;

「OPEN」の看板は常に立っていますけど、朝は11時からラストオーダーは21時だそうです。







エビとズッキーニのパスタ . . .



コクのある海の幸と少し苦みのあるズッキーニの組み合わせが爽やかな夏の感じでとても美味しかったで〜す!^^


中のインテリアもかなり凝っていました。
ひとつひとつ吟味されて揃えられたんでしょうね ^^







こ〜なると、トイレも気になりますね〜 ^^


  


お風呂も入れる?


外に出てみるとすっかり暗くなっていました。





お店の名前は「 CAFFE CIOCCO(チョコ)」さんです ^^

水曜日が定休日だそうです。

今朝も近くをブラブラしてきました^^





お日様も中々顔を出しません^^;





ようやく顔を出しました^^





オイオイ 一つしかない命 大切にしようよ





そうそう それでいい





僕よりも15才年上のお三方 . . . 早朝から暴走されておりました^^

僕が生まれたのは1961年(昭和36年)
美祢の豊田前という当時石炭で栄えた町でした。
(下の写真は大嶺です)




1960年代〜'70年代にかけて、欧米文化が一気に入ってきました。


終戦後の復旧から、住む食べるといったあたりまえの生活の中に、日本人の暮らしにも少しゆとりができ始めたのでしょうか。

ラジオ、テレビ、電話、音楽、ファッション、映画 . . . も、この頃普及しました

情報のなかった日本に外国の情報が一気に入ってくるきっかけがそこにあったからかもしれませんね。


人間誰しも、新しく見聞きするものに対しては、新鮮であり、美しく思います。
そして、それも見慣れてくると、飽きもして、又新鮮に思える何かを探し始めます。

そう言った意味では、'60年代〜'70年代は、かつてないほどの文化の変革時代だったと言えるのではないでしょうか。


このころ日本は国中が「外国人コンプレックス」にさいなまれていました。
そしてトレンドとして爆発したのが「ブリーチ」でした。
ここが日本のカラーリング史の黎明期だと思います。
髪の脱色に、ビールやオキシドールを使うのが流行っていたりしました。
勿論黒髪のブリーチですし、当時のカラー剤は今ほど良くないので髪の毛はボロボロでした。


当時のお手本は、

カトリーヌ・ドヌーブ




マリリン・モンロー




オードリー・ヘップバーン




ミュージシャンのファッションやヘアースタイルなどもこぞって取り入れようとしました。
ダンス、車、サーフィン、スキー、ボーリング、ローラースケート . . .
それらにも独自のファッションがあり、それぞれにおきまりのヘアスタイルがありました。

そこにも欧米人のマネをする文化があり、それが日本人の髪の色を明るくする文化とも結びついていたように思います。


僕が美容師になった'70年代後半 . . .
当時はサーフィンがブームでした。ディスコはマハラジャの少し前の時代。
ヘアスタイルはファラフォーセットメジャースがお手本でした。
サーフファッションにも、髪の色は明るく潮焼けに見せる必要がありました。

それと平行するように日本ではアイドル時代をむかえていました。
聖子ちゃん、明菜ちゃん、他にも可愛い女の子や、カッコ良い日本人スターが大勢出てきました。





それに伴って欧米人に対するコンプレッスもしだいに薄れてきたのか、マネる対象が日本人へと移ってきたのがこの時代だと思います。
日本におけるカラーリングの過渡期へと入っていったのではないでしょうか。
髪の明るさが落ち着いてきたのもこの頃でした。

スーパーダメージヘアーのブリーチ時代が、そう長く続くはずもなく、ひとまず休息の時代でした。

'80年代のバブル期、クラブのお立ち台でジュリセンを持って踊っていたワンレン・ボディコンのギャル達の多くは黒髪でした。
お立ち台で黒く揺れるストレートヘアは、スポットにあたって更に引き立っていました。





やがてバブルが崩壊し、'90年代に安室奈美恵が現れ、その後、浜崎あゆみなども続き、空前の茶髪ブームが始まります。









ざっと僕が生まれた50年前にさかのぼって日本女性の髪色を振り返ってみました。
あくまでも、おおまかな山谷のお話しですが、その間にも細かい山谷の繰り返しがあり、欧米人に憧れて重く見える黒髪を明るくしたり、ファッションや文化に合わせて暗くもしてみたり、又季節によって変化させてみたり、日本人の髪色遊びも多様化し、個人々が自分なりの方向性を見いだせるようになってきたのが今の時代のような気がします。


こんな方々も日本のカラー史に足跡を残されたましたね ^^


    






今年の春夏は、やっぱりハッキリとエッジの効いていない何処かはずしたスタイルが来ましたネ〜





[ クロエ・セヴィニー ]

ゆるいウエーブを後ろでまとめて、普通だったらサイドの下は後ろにひっつめるところを、耳にかぶせるようにルーズにラウンド。。。
表面にアホ毛(下関弁?大阪では聞いた事ないけど...^^)が出てるところを見ると、スタイリング剤も控えめに . . . わざと狙ってますね〜 ^^





[ メアリー・ケイト・オルセン ]

ルーズに編んだ三つ編みをカチューシャのように巻き付けてますね ^^
ラフな毛先を逃がしたウエーブと相まって、スウィートでフォークロアな感じが出てますね〜 ^^





[ ダイアン・クルーガー ]

長い髪の先をくくって、内側にクルクル、クシュクシュ、巻込んでピンで止めてますね ^^
フェミニンな計算されたおくれ毛にと、サイドにあしらったヘッドレストがノーブルな雰囲気を漂わせていますね〜 ^^
ラフになりすぎない」」ってところもポイントですね ^^





[ ヴァネッサ・ハジェンズ ]

ボヘミアン調の装いに、キュートなサイドによせた三つ編みがフィットしてますね ^^
この三つ編みもちょっとルーズに編んでいるのがポイントですね ^^
フェイスラインをボブ風に残していて、カジュアルな中にアンニュイな雰囲気も出ています ^^





はずす . . .  ルーズ . . .

簡単なようで難しいですね ^^
ヘタをすると、だらしない感じにも見えますよね(・・;

でも、ウマくいけば、見た目にもリラックス感漂うゆとりを感じるスタイルになってきます^^


同じヘアースタイルでも、今迄と違うアレンジをしてみたり、違うスタイリング剤を使ってみたり、流す向きを変えてみたり . . .

いつもと違う自分を発見できて、リフレッシュできると思いま〜す! ^^

是非チャレンジしてみて下さ〜い!^^


三重と京都のバイク仲間二人が角島にキャンプにやってきました!^^
お二人は先に角島へ . . .

僕は仕事を終えて . . .
先日ホームセンターで買ったテントをバイクにくくって行ってきました^^
角島到着は夜の10時前 . . .
お二人さん、すでにできあがってました。
30年来愛用のコールマンのボンベに手作りの鉄板 . . .





早速お肉いただいて . . .
外で食べるのも美味しいですね〜^^

若い人が多い中、オッサン3人でワイワイガヤガヤ...^^

朝焼けの角島もキレイです!^^







大浜キャンプ場にはリヤカーの貸し出しもあってラクチ〜ン!^^
(僕は押してないけど^^:)





ジツはこのお二人さん . . . 軽トラでやってきました^^





ホンダのエイプというバイクを積んで . . .
小さいバイクなので高速道路が走れません^^;
山口に来る途中も、所々寄り道しては、バイクを下ろして走ったり . . .
僕はバイクのメカにうといのですが、改造してモンスターなエイプになってます^^





角島を後にして、後は寄り道せず関西に帰ります ^^





西市でお別れして、お二人は美祢ICから . . .





スイマセ〜ン! 写真をクリックするとビックリしますね〜^^;
少し加工してありま〜す ^^



オッサンが子供にもどったキャンプでした ^^



先日の豪雨で下関から角島に抜ける海沿いのR191は二見の先で通行止めになっていました。
日曜日には関西の友人二人が角島キャンプに来るし、角島入りの時間には僕はまだ仕事中なので、その後の通行止め情報を得るべく聞き込みを開始しましたが、どうもはっきりしません ^^;
そこで、土曜の朝トレは角島に行く事にしました!^^

迂回ルートに回らず、通れるようになっていたので、そのままR191を角島へ!^^

土井ヶ浜の海水浴場を過ぎた辺りに「和久(わく)」という地域があります。
R191の右カーブ左側を今工事しています。





来年ココに道の駅ができるそうです!^^
先日届いた市報(?)「かがやき」にも載っていました。





内陸の方は道の駅がいくつもあるのに191号沿いにないのが不思議なぐらいでした ^^;





広さがわかりにくいので電卓ではじいてみると . . . 3861坪 . . . これでもよくわからない ^^;

広いって事だけは事実のようです ^^

ココならロケーションはかなり良いでしょうね ^^
海の向うには角島がキレイに見えるはずです!^^

そしてココの道の駅の男子トイレ . . . ウチのお客さんがされている会社が設計するそうです。
ほぼ図面も完成しているらしく、小さい用を足す時に「海を見ながら気持ち良く」ってことになっているそうです ^^
出来上がりが楽しみですね〜^^


この日は、角島の先まで行かず、手前の牧崎で一休みして戻ってきました ^^









日曜の朝は、僕が生まれた美祢までグリーンロードを抜けてひとっ走り . . .





朝焼けのキレイなタイミング〜!^^





・・・ 6時前 !^^






いつもの菊川の交差点にさしかかると . . .




やはり、政治と恋愛ネタでした ^^

よく見ると . . .

お二人共、携帯電話を持ってます





ディテールの細かさ . . .

怒った顔の奥様 . . .

困った顔のご主人様 . . .

何とも微笑ましい(?)感じです ^^



西市道の駅で . . .





英名を「 Ebony Jewelwing 」と言うんだそうです
訳すと「 黒檀宝石羽 」となるんでしょうか?
カッコ良い〜!^^

お盆前頃から見られるようになるこの「ハグロトンボ」、地方によっては「ホトケトンボ」や「カミサマトンボ」とも呼ばれるそうです ^^






美祢という所は昔、「無煙炭」という良質の石炭が採れていました。
男達は穴で掘り、女達は工場でレンタンやマメタンを作っていました。
僕の父親も以前は真っ黒になって穴の中に入っていました。
こんな山奥でも昔は多くの人が住んでいました。
映画館やプール、テニスコート、総合病院 . . .
かなり賑やかでした。

昔の面影が残る物はないか(?)と少し探してみました ^^

炭坑のあった所へは、残念ながら柵が張ってあるので入れませんでした ^^;

かわりに、たぶん当時のままの建物を撮ってきました ^^










大した成果でもありませんでしたね^^;

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